どうして私は、こんなに気を使ってしまうのか|人間関係に疲れる本当の理由

どうして私は、こんなに気を使ってしまうのか 人間関係

人と会ったあとなぜかぐったりしている。
何かを言われたわけでもないし、嫌なことが起きたわけでもない。
それでも家に帰ると、内側が空っぽになったような感覚がある。

人間関係で疲れやすい人には、ある共通した癖がある。
これは、その癖に気づいた日の話。

気を使うのが、当たり前だった

気づけば私は昔から、空気を読むのが得意だった。
誰かの声のトーンが少し変わると気づくし、場の雰囲気が揺れると自然と身構える。
それが特別なことだとは思っていなかった。

ただ、それが普通だった。

できるだけ波風を立てない。
先回りして動く。
自分の本音は後回し。
そのほうがうまくいく気がしていたし、安心できる気がしていた。

あの頃の私には、きっとそれが最善だった。
誰かを怒らせないために。
嫌われないために。
場を壊さないために。

気を使うことは、ある意味で自分を守る術だったのだと思う。

疲れているのは、人ではなく「合わせ続ける自分」だった

けれど今、その癖が少し重いと感じている。

何も起きていないのに緊張するし、頼まれてもいないことを先回りして背負う。
断るだけでなぜか罪悪感が出る。

人に疲れているというより——合わせ続ける自分に、疲れているのかもしれない。

「気を使いすぎる」という癖は悪いことではない。
繊細さや思いやりの裏返しでもある。
でもそれをずっと全力で続けていたら、いつか内側が尽きてしまう。
電池が切れかけているのに充電する時間を自分に許していない。
そんな状態に気づかないまま何年も過ごしてきた。

距離を置くことは、冷たいことではない

そうしているうちに少しずつ気づいてきた。
距離を置くことは、冷たいことではないのかもしれないと。

誰かを拒絶するのではなく、嫌いになったわけでもなく、ただ——ずっと抱えてきたものを、少し下ろすだけ。

具体的には、こんなことから始めた。

「察して動く」のをやめる。
頼まれていないことはしない。
相手が不機嫌そうでも原因が自分とは限らないと言い聞かせるだけで、少し楽になった。

断るときに理由を作りすぎない。
「ちょっと難しいです」それだけでいい。
長々と説明しなくていいし、謝らなくていい。

反応を0.5秒遅らせる。
何か言われたときすぐ応じない練習をする。
深呼吸ひとつ分の間を置くだけで、反射的に合わせてしまう癖が少しずつ薄れていく。

どれも小さなことだ。
でも積み重ねると確実に、内側の消耗が減っていく。

これからは、自分の顔色も見てみたい

ずっと誰かの顔色を見てきた。
相手が怒っていないか。
場が乱れていないか。
空気が悪くなっていないか。

でもこれからは——少しだけ、自分の顔色も見てみたい。

今日の私は疲れていないか。
無理をしていないか。
何かを我慢していないか。
それに気づける人間になることが、たぶん「距離を置く」ということの一番深いところにある。

すぐには変われなくていい。
少しずつでいい。
そう思えるようになっただけで、今日は十分だと思っている。


職場での具体的な距離の置き方については、こちらの記事も。


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