休日の朝。目は覚めているのに、体が動かない。
起き上がろうとする気力が、どこにもない。眠れなかった夜の続きが、そのまま朝に持ち越されている。
パジャマのまま布団から抜け出して、とりあえずコーヒーを淹れる。顔も洗わず、髪もそのまま。鏡を見る気にもならない。
**仕事の疲れが抜けない。休日なのに休めた気がしない。**そんな日が続いている人に、この記事を書いている。
「何かした」という形を作らないと不安だった
以前の私は、休日でもきちんとしていなければ落ち着かなかった。
洗濯を回し、部屋を掃除して、外に出て——「何かした」という形を作らないと不安だった。
でも本当は、ずっと無理をしていた。
人の機嫌を読み続ける毎日。断れなかった言葉。飲み込んだ本音。その負債が、休日に一気に押し寄せる。
何もしないのではなく、何もできないに近い日もある。
それでも今日は、「何もしない」と決めた。できない自分を、責めないと決めた。
距離を置いてみたら見えたこと
人間関係から、少し距離を置いた。
無理な誘いは断る。返信はすぐにしない。ざわつく相手とは深く関わらない。
たったそれだけなのに、体の奥の緊張が少しほどけた。
正直に言えば、怖かった。嫌われるかもしれない。面倒な人だと思われるかもしれない。
でも——距離を置いたことで消えてしまう関係なら、それは私が無理をしてつなぎ止めていただけだったのかもしれない。
誰かに合わせ続けることで保っていた関係は、私が削れていることを前提に成り立っていた。
それに気づいたとき、少しだけ悲しかった。と同時に、長い間気づかなかった自分を、少し許せた気もした。
ちゃんとしていない私を、許す
パジャマのまま、何時間も過ごす。
何も生み出していない。誰の役にも立っていない。
そんな自分を、以前は許せなかった。でも今は、思う。
私は働いていないわけじゃない。休んでいる。回復しようとしている。
休日は、削れた心を縫い直す時間だ。社会的な役割を脱いだ私は、少し頼りないけれど、本当の私でもある。
今日は着替えなくてもいい。今日は何者かにならなくていい。
そうやって一日をやり過ごせたなら、それは怠けではなく、回復だ。
小さくて地味だけれど、確かな回復。
それでいいと、今は思っている。
今までよれよれのお古の服をパジャマ替わりに着ていたけど、それを辞めた。
パジャマに着替えてしっかり「寝る」時間を作るため。
乾燥肌で通気性の良い物をと探して、今は綿100%のパジャマに行きついた。


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