特に何かを失敗したわけでもない。誰かに怒られたわけでもない。
それでも、胸の奥がざわざわする日がある。
何かやり残している気がする。誰かを不機嫌にさせている気がする。
自分が間違っている気がする。
はっきりした理由はないのに、なぜか落ち着かない。
気を使いすぎて疲れている人に、こういう日は多いと思う。
これは、その癖に気づいた日の話。
「私が悪いのかも」という癖
誰かの声が少し強かった気がする。返信がそっけなかった気がする。空気が少し重かった気がする。
それだけで、「私が悪いのかも」と思ってしまう。
確認したわけでもない。事実でもない。それでも先に、自分を疑う。
責められる前に、自分で自分を責める。
そうすれば傷が浅くて済むと——どこかで思っていたのかもしれない。
長い時間をかけて身につけた、自分を守るための癖だったのだと思う。
でも今は、その癖が自分を一番消耗させていると気づいた。
境界線を引くということ
最近、少しずつ考えるようになった。
相手の機嫌は、相手のもの。相手の沈黙も、相手の問題。全部を自分の責任にしなくていい。
そう思えるようになるまでに、時間がかかった。
境界線を引くというのは、冷たくなることではない。
自分が背負わなくていいものを、そっと置くことだ。
相手を拒絶するのではなく、自分を守るために線を引く。
その違いを理解したとき、少しだけ楽になった。
罪悪感があっても、間違っていない
距離を置くと、罪悪感が出る。断ると、胸がざわつく。
でも最近は、こう思うようにしている。
罪悪感が出るからといって、間違っているとは限らない。
それはただ、今までと違うことをしているサインかもしれない。
ずっと「合わせること」を正解にしてきた体が、変化に戸惑っているだけかもしれない。
まだ慣れないだけ。まだ途中。
それでも少しずつ、自分を責めない時間を増やしている。
罪悪感と一緒に、それでも前に進む練習をしている。
罪悪感は、悪いことをした証拠じゃない。
自分を大切にし始めた、最初のサインなのかもしれない。


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